スーツ好きよフレンドリーであれ
「日本のサラリーマンはスーツの事をわかっていない。だからダサいしモテないんだ」
SNSでスーツ好きのコミュニティを覗いていると、この手の発言をどこかしらで目にすることがあると思います。
言いたい事はわかります。私もスーツについて情報収集をするにつれて、周囲のラフ過ぎるスーツ姿が認識できるようになりました。
しかし一方で、このような発言が自身の首を絞めているのではないかとも思うのです。
自称スーツフリークがスーツの衰退を招く
本当にスーツが好きならばダサいサラリーマンを揶揄して自らの虚栄心を満たすような真似はしてはいけない。高尚になり過ぎた文化は先細り庶民の手を離れ、美術館のガラスの向こうでしか存在できなくなる。共に歩んで存続できる環境を残していかなければならない。
— 一騎 (@aerodyne0739) 2019年1月20日
近年の日本はクールビズや働き方改革により脱・スーツの傾向が顕著になっています。スーツ好きとしては残念ではありますが、日本の気候や就労意識の変化を鑑みると致し方ないとも思います。
ここで浮き彫りになるのは「スーツを着ることへの各人の意識の二極化」です。具体的に言えば「スーツ好きはとことんこだわり、スーツ嫌いは着こなしを気にしなくなる」ということです。
そしてスーツ好きはスーツ嫌いに対して過激な意見をぶつけるようになり、スーツ嫌いはより離れていきます。
外ではスーツばかり着ているのと同じくらい内では和服を着て過ごし、たいのだけれど、未だに実現していない。和服を仕立てられる場所は本格的なスーツテーラー以上に衰退が早く、今や民生品ではなく工芸品になってしまった。世間の需要が大爆発しない限り「安くて良いモノ」は復権できない瀬戸際に。
— 一騎 (@aerodyne0739) 2019年1月20日
二極化が更に進むとスーツは一部のマニアが身に付けるコスチュームプレイとなり、どんどんと先鋭化していきます。その結果大衆的なスーツ文化は廃れ、競争を生き抜いた作り手しか存続できなくなります。
ツイートにある通り、私は和服で日常を過ごしたいという野望を抱いています。しかし今の所それは実現していません。
その一番の理由は、本格的な和服が非常に高価だからです。
かつては一般人が当たり前に着ていた和服は、今や1着数万円からの伝統工芸品となってしまいました。これは和服を着用するという習慣の衰退と作り手の減少により、価格を引き上げなければ生産環境を維持できないからです。
そして私は、いずれスーツもこの和服と同様な行く末を辿るのではないかと危惧しています。スーツ好きがスーツ嫌いに対してマウントを取る行為は、結果として自身の趣味の世界をも狭めることになるのです。
楽しさを伝えて共存していく
スーツをカッコよく着ることの効用を腑に落としてもらわなければならぬ、自己満足という(私もよく使う便利な)自嘲だけでは同志も増えぬ。いずれ衰退の一途を辿りテーラーは消え、私自身の愉悦も喪われる。
— 一騎 (@aerodyne0739) 2019年1月20日
スーツの何が自分のプリミティブな欲求を刺激するのか。これを言語化し伝達できれば新元号も生き残れるはずだ。
— 一騎 (@aerodyne0739) 2019年1月20日
ではスーツ好きはどうすればいいのか。答えは単純で、他人を乏しめる事をせずアドバイスを発信すればいいのです。
それはなにも道行く知らない人の肩を叩いて「ネクタイはしっかり締めましょう」と注意しろ、というわけではありません。そもそも既に固まってしまった他人の習慣を変えさせるのはとても難しい。
もっと効果的なのはこれからスーツを着る若い世代にスーツの魅力や楽しさをポジティブに伝えることです。
棘のある言い方で持論を振りかざすのはアドバイスではなく押し付けです。それよりも、丁寧に自分が楽しいと思える要素をさりげなく示す方が聞く方も受け止めやすいというもの。
スーツは年齢を重ねた大人に許される特権だと勘違いする人も多いですが、1950〜60年代イギリスのモッズのように、スーツは若者を奮い立たせるものでもあります。むしろ若いうちに培った経験の積み重ねが大人の魅力を引き出すのだから、今の内から親しんでおくべきなのです。
もしあなたの身近にスーツに興味を持つ人がいるなら。それは現実でも、ネット上での繋がりでも構いません。あなた自身の楽しそうな雰囲気を見せ付けてやりましょう。
和服が勢いを弱め始めてから半世紀程が経ちました。次の半世紀後にあなたがスーツを楽しめるかどうかは、若い世代が楽しんでくれるかどうかにかかっているのです。
終わりに
どうにも熱が入り過ぎて文章が冗長になってしまいました。
一言でまとめると、因果応報だから優しくしましょう、という事です。
うむ、とてもシンプル!
それでは次回も、なにとぞよしなに