今週のお題「読書の秋」
みなさん今晩は。読書の秋とは言いますが、長野の夜は既に冬のような気温となりつつあります。日も短くなり外に出るのもおっくうな、まさに読書にはふさわしい(他にやることがない)季節であります。
個人的にはこの時期が一年の中で最も好きな季節です。というのも、スーツやコートを着込んでたくさんお洒落ができるからです。引き算によって構成される夏のお洒落を楽しむにはまだ修業が足りませぬ。
さて、今回紹介するのは1925-26年に雑誌『苦楽』にて連載されました"神州纐纈城(しんしゅうこうけつじょう)"です。
本作は400頁を超える長編でありながら未完のまま連載が終了しておりますが、根強いファンが多く、"ゲッターロボ"の原作者である石川賢氏によるコミカライズもされています。
あらすじをさっくりと記しますと
「安土桃山時代、武田信玄の家臣である土屋庄三郎は夜桜を観ながら散歩していると、ひとりの老人に出会った。この老人は深紅の布を庄三郎に売りつけて立ち去ってしまう。衝動的に買ってしまった布を眺めていた時、庄三郎は「謹製 土屋庄八郎昌猛」という文字を見つける。これは今は亡き父の名前であった。そしてとある晩、布は突然に宙を舞い、庄三郎はこれを追いかける」
といったところです。
これだけ見ると「史実をベースにしつつもオリエンタリズムをトッピングしたエンターテイメント小説なのだろうなぁ。」といったところですが、蓋を開ければそんな生易しいものではありません。
本作は群像劇の形式をとっており、何人かいる登場人物はいずれも他の作品であれば主人公となりうる程の強烈な個性を持った面々が揃っています。
以下に簡単な概要を記します(ネタバレ注意?)
・土屋庄三郎
武田信玄の家臣でひょんな事から纐纈布(こうけつふ/深紅の布)を手に入れる。布に亡父の名が有ることから、父がどこかで監禁されて布を織らされているのではないかと考えて出奔。武田家臣に追われながら父を捜して三十里くらい進む、ひとやすみ。
・高坂甚太郎
出奔した裏切り者を始末する為に庄三郎を追いかける武田家臣。竹の釣竿や布を武器に真剣と渡り合う、若き日の東方不敗マスターアジア。いつもにっこりイタズラ好きで腕っぷしもいい正太郎枠。
・纐纈城主
スチームパンク全開な纐纈城にて、ありとあらゆる多彩な手法で人の生き血を搾り取るスプラッタマニア。生き血で染めた纐纈布を使って空を飛んだり、触れただけで感染る奇病を撒き散らしたりするSF(スーパーファンタジー)な御方。女性には触れないので言葉攻めが基本。
・光明優婆塞
富士山周辺に要塞都市"富士教団"を構える新興宗教の教祖。手をかざしただけで傷を癒すスキルを持ち、年季の入った人斬りに襲われても死なないという、防御と特殊にステータス全振りした筋金入りのガードヒーラー。楚人曰「城主の病と婆の治癒、どっちが強いの?」
・三合目陶物師
富士山の三合目辺りで陶器を焼くおじさん。小屋の近くを通りかかった男はとりあえず斬る。自分の顔が醜いことにコンプレックスがあり、そんな自分を変えたいと美人整形外科医を訪ねる。
・月子
富士山の裾野の洞窟で人の顔を造って暮らす美人整形外科医。人斬りおじさんの依頼は形程度にこなしつつ、甚太郎は弟のように可愛がったりする。いま一番ホットな願望は纐纈城主の面をつくることです!
・直江蔵人
山中で薬をつくりながら娘と暮らす老人。彼の創る薬丸の効き目は抜群で、巷では万能薬と名高い。それもそのはず、この薬丸は人間の臓器からこしらえたものなのですから。
とまぁ、メインキャラがこの有り様。なんとも業の深い方々が行き逢いながら織りなす猟奇的で怪奇的で幻想的な物語となっております。
これらの魅力的なキャラクターに加えて、特筆すべきは著者の描写力です。
冒頭の夜桜から始まり、富士の山中、纐纈城、富士教団や洞窟など舞台は転々としますが、いずれも文章を読むだけで景色が目に浮かぶようです。
夜桜は微かな明かりに照らされた桜の反射光や夜の涼しさを感じられるように。
富士山中は茂る木々や人里離れた寂しさを感じられるように。
纐纈城は非実在でありながらその圧倒的な存在を感じられるように。
富士教団は選ばれた者だけが踏み入ることを許された聖域のように。
洞窟は光と闇の中において蠢く人間と怪異の境目が朧になるように。
美しさと恐ろしさと怪しさとが混在しつつも、それぞれの特徴が際立った素晴らしい風景描写をお楽しみいただけるはずです。
そんな精緻に整えられた土台の上で踊り狂う、名言だらけの会話劇がたまりません。
----------以下、引用----------
「染料は蘇芳ではございません」
「それがそんなに可笑しいのか?」
「何んにもご存知ありませんので」
「全体何んで染めるんだ?」
「生物の血でございます」
「ふうん」と云ったが甚太郎は何がなしにゾッとした。「犬の血かな?馬の血かな?」
「人間の血でございます」
「黙れ!馬鹿!
「人間の血でございます」
「で、どこから持って来るんだ?」
「城中に飼っておりますので」
「何、人間を飼っている?」
「お客様方でございます」
「お客様だって? 俺もお客様だ」
「はいさようでございます」
「では俺の血も絞るのか?」甚太郎はブルッと
「オイ、俺の血も絞るのかよ!」
「はいいずれは、そうなりましょう」
「ふん、俺の血も絞るんだな?」
「そういう運命が参りますればな」
「手前、正気で云ってるのか?」
「どうぞお許しくださいまし」
「それではここは地獄だな」
「纐纈城でございます」
「地獄だ地獄だ!ここは地獄だ!」
「しかし極楽とも申されましょう」
「血の池地獄だ!貴様は獄卒だ!」
「甘い食物、美しい衣裳、苦労のない日々の
「助けてくれ!助けてくれ!」
「助けることは出来ません。助かった
「助けてくれ!助けてくれ!小四郎殿助けてくだされ!」
甚太郎は突然
「私は獄卒でございます」悠然と小四郎は立ち上がる。「獄卒に涙はございません」
「俺はいつ頃殺されるんだ?」
「
「それはいつだ?いつ籤を引く?」
「ちょうど今夜でございます」
「今夜?」
----------引用終わり----------
このような歪でありながら小気味のよい会話が波のように押し寄せてきます。
今、私たちは製本技術や翻訳技術の向上によって古今東西あらゆる書物を読むことができます。そして、これは文化の常でも有りますが、物語は模倣と改善を通して後世の物の方が良くなっていくものです。
しかしながら本作は100年近く前に出版されたにも拘らず、現代のファンタジー小説に負けず劣らぬ新鮮さをもって今なお存在しています。
そんな時の流れと趣味嗜好の多様さに押し流されず鎮座する、不動の作品を名作と呼ぶのであれば、この神州纐纈城もまた、名作といってよいでしょう。
この可笑しな摩訶不思議な物語を、秋の夜長のお供に如何でしょうか。
それでは次回も、なにとぞよしなに