日頃感じていることをのんべんだらりと書きます。かなりの散文です。
今やミニマリストという言葉は当たり前のように使われており、ネット上でも多くの方がミニマリストとして活動されています。
しかしその中で注目されるのは、一部の、ミニマリストとは程遠い、突拍子もない過剰な倹約家です。
私の中でのミニマリストの定義とは「日常の中で使うものを厳選し、自分にとっての効用が最大限になるようなモノ選びをして生活する人」です。
よく話題として取り上げられるは
・厳選した結果、部屋の中の物が一切なくなりました!
・衣服をシンプルなものに統一し、バリエーションを厳選しました!
・安価かつ使い捨て可能なものを使い、常に新鮮な気分で生活しています!
などといったものです。
まず身も蓋もない結論を述べます。
本人が満足しているならそれでいい!!
これから私の持論を展開しますが、結論はここに至ります。
それでは以下、自論持論。
文明人としてそれでいいのか?
確かに現代、特に日本は物資が飽和し大量生産・大量消費社会となっており、環境負荷云々は抜きにした個人的な心情としても歓迎できるものではありません。
とはいえ、私たちの身近には私たちの生活、ひいては人生を豊かにすることが出来るピースが溢れているのも事実です。
これらの一切を捨て去って寝食のみを行う仙人のような生活を送ることは、人類が脈々と営んできた歴史への反逆と言っても過言ではありません。
人類が火や電気を発明して夜を克服しようと戦ってきたように、すべては過去と現在を乗り越える為の前進の積み重ねであり、その先頭を歩むのが私たちなのです。
それなのに過去のみを見つめ、未来への前進を拒み、個人という器に閉じこもる。
これはもはや全人類へ反旗を翻す行為です。
などといったタテマエはさておき、そんな生活して死ぬまで生きて楽しいの?
私たちは幸いにも自分の行動を自らの意志で取捨選択できる精神的自由人です。
であれば、趣味や好きなものの1つや2つをもって笑顔で暮らす方が良いに決まっています。
そしてミニマリストにとって、この1つや2つの楽しみに己の全リソースを注ぎ込み、誰にも邪魔をされない究極の自由を享受する事こそが至上命題であるべきです。
かの"ショーシャンクの空に"の中に「自分の頭の中で好きな音楽をかけること、この自由だけは誰にも奪えない」というセリフがあります。これは主人公が投獄されているという舞台の中での精一杯の自由ですが、私たちのような身体的にも自由な市民は、モノやコトによってさらに自由と幸福を拡張することが出来ます。
私にとってのミニマリストとは「自分が自由と幸福を感じることができるモノやコトを絞り、リソースを集中する人」という認識になります。
また、ミニマリストのモノが減っていくのは「世捨人のような生活をすること」によってではなく、「自分の好きなモノにこだわった結果としてモノの総量が減っていく」というのが健全かつ合理的な流れではないでしょうか。
かくいう私は物欲に飲み込まれ続けていますが、いつかは健全なミニマリストになりたいと思いつつ、"自分を自由にしてくれるモノ"の取捨選択に模索している最中です。
それでは次回も、なにとぞよしなに